Violaは早春の光

 今朝はひとしきり雪がちらちらしていたが、冬の余韻のようないたっておしとやかな振る舞いで間もなく退場。やがて雲も晴れてやわらかな日差しがやってきた。さすがに太陽の角度が違うぞ。やっぱり3月なんだと背伸びしたくなる。と言ってももう12日ですけどね。天気も自分もいろいろあったので「ようやく」と一息つく今日のいちにちなのであった。早春、と口にしてみるのであった。 

 ところで、日差しと言えば、秋田市は年間日照時間が日本一「少ない」とよく言われる。これはかなり低評価のおそれあり、と愛郷心あふれる秋田人(アキタニアンとも言う)は憂えるのである。しかし、待て待て。我らアキタニアンの中にも科学の子あり。探究心やまず真偽を確かめずに置くべきかと秋田地方気象台に照会をかけた有徳の士がいる。回答の詳細はHPにあり、願わくば一覧をと申し上げておくのだが、端折って書くと次の通り。
 「それは本当である。ただし、これは都道府県庁所在地にある気象官署の平年値を比較したもの。全国157箇所の観測官署で比べると、少ない順に『山形県の新庄、鹿児島県の名瀬、長崎県の雲仙』となり『秋田は23番目』である。」
 意外にも、ではないか。どうか地元秋田を含む全国の皆さん、秋田は暗い、などという固定観念から自由になっていただきたい。なんといっても九州の名瀬より日照時間は207時間も多いんだぞ。と、無理やり持ちあげてみたが、実際のところ冬の秋田はいささかキビシイ。それだけ春の陽の光へのあこがれは強く、その気持ちは渇仰と言ってもいいくらいである。

 さて、早春の光、この微妙な天のめぐみに相応しい音を求めるとするならば諸姉諸兄はいかがなさるか。ワタクシはヴィオラこそ、と思うのである。それもこの頃の発見としてである。ヴィオラという目立たない楽器の存在のありように今少しリスペクトの念を奉じてもよいのではないかとの思いがある。地味である、これといって華やかに主張する音ではない、音量も豊かとは言えない、というなんとも控えめな楽器である。数々の哀れなジョークのネタにされ、オ―ケストラでの存在感の希薄さからか、山で遭難しても誰も気がつかない、木が多いだけヴァイオリンよりよく燃える、だのとそれは気の毒な言われようである。ヴィオラ・ジョークというジャンルさえ西洋では成立した。ひどいな。

 独奏曲もずーっとなかった。、ヴァイオリンのいかにも上手そうに聴こえる華やかで緊張度の高い音も、チェロが醸し出す成熟した知性の雰囲気や重厚さを歌いあげる朗々とした音も持ち合わせない。どちらもスター性抜群である。ヴィオラはその間にあって、調弦はチェロの1オクターブ上という、まるで横綱の露払いのような位置づけに甘んじている。文句も言わず主張もせずじっとしている。ところが傍からは音程が悪いと睨まれ、サイズが中途半端で音量が出ない、くすんだような響きはそのせいだ、なんでわざわざヴィオラなんかやるんだ気が知れないなどと、ほんとひどいもんですよ。

 しかし、しかしである。ここからが肝心。例えば弦楽四重奏団のサウンドを決定するのはどの楽器か、メンバーを選ぶのに最も重要なのはどの楽器か。この問いに対する答え、それがヴィオラなのだ。第2ヴァイオリンというこれもまた微妙な問題はここではないことにして、なぜヴィオラなのかである。

 それは、まさにヴィオラの音の特質にあるのだろうと愚考するのである。弦長に対してそれを鳴らしきるには不足なサイズ、それにより倍音構成は影響を受け特有の抜けの悪さを生む。鳴りきらない音は胴体内部での干渉を生じさせるだろう。逆に言うと、サイズに比して長い弦を擦ることになるというアンバランスによりその物理的エネルギーは音響に転換しきれず別の形で発せられる。これらのことは検証したわけでもなく推測にすぎないのではあるが、あの特有の音色の意味を考えるとそうなのではないかと「仮に」ではあるが思っている。ヴィオラの渋い音色、まるで自分一人のために弾いていると思わせる内省的な音色、一度気がつくと、おおこれこそはとまで思うのである。チェロほどの王侯のように立派な低音ではない、ヴァイオリンほどのプリマのようなくらくらするような高音でもない、そう、等身大の人間の静かな語りのような音色だ。ヴィオラの音は出すのではなく何かを吸い込むような音なのだ。その吸収力こそヴィオラの真髄である。合奏であればヴァイオリンの音もチェロの音もヴィオラは吸収しその色に変容させる。新たな意味のある音に。これ、つまり対話である。

 ヴァイオリニストが戯れにヴィオラに触れそれ以来病みつきになりヴィオラに転向したというケースも多いと言う。うなづける話だ。音楽が心と離れてはあり得ないことを思うと、ヴィオラという楽器がこの形のままで続いてきたということの意味が分かるような気がする。西洋人のことだ、欠陥なのであれば必ず改良しているはずである。「ヴィオラはこれがいいのだ」、だったのだろう。しかるに楽器事典を見れば、どれもこの楽器の欠点ばかりを挙げている。安易に楽器に優劣を持ちこむまちがった姿勢ではないのかと思う。ランク付けではなく、楽器は音楽をするためにあるのに、とワタクシはここでぼそぼそとヴィオラのようにつぶやくのである。

 タイトルに戻ると、ヴィオラの音は、花咲き誇る春のでもなく太陽のエネルギーをぐいと放射する夏のでもない、今、この早春の柔らかく注ぎ始めた陽の光と語る言葉にも似たり、というはなはだ私的な感想でした。


音楽で眠るシアワセ

 クラシック音楽はわからんキライだ眠くなる。そう公然と宣言する反骨精神みなぎる人もいれば秘かに思う控えめな人もいる。中には聴く前から寝てるスキもキライもない天下太平な人も。まあ人は様々だが、大体においてクラシック音楽というものが人類を眠りに誘う性格を少なからず帯びているのはたしかだろうと言える。いやそれは曲に拠るだろう・・・と反論したい気持ちはわかるが、それは愛好家の贔屓というものでこのジャンルの音楽の持つ「眠らせる」機能というのはなかなかあなどれない。「大序曲1812年」でも寝る奴は寝る。大砲にもロシア国歌にも負けない豪傑はいるのだ。

 ぜひこのことを検証したいのである。そう覚悟すると身近なコンサートにおける客席も興味深い観察のフィールドとなる。大オーケストラが渾身の演奏を繰り広げるさなか、寄せ来る重厚なサウンドを吸収して軟体と化し、波に身をゆだねる蛸さながらに夢路を辿る善男善女の姿がある。これもまた有益な鑑賞の一形態として承認されるべきであろう。時折、ばさりとプログラムを落とすなどもなかなか無作為な天然の趣きがあるではないか。教養主義とは対極の「則天去私」の境地ともいうべきか。
 更にフィールドワークを深めると、イビキをもって演奏に参加する事例も発見できる。これが作曲家や楽曲の別を問わず発生する現象であることは示唆に富んでいる。もっとも作品の質と睡眠導入効果の大小との相関については未だ不明であり今後の探究が待たれる。しかしながら演奏の発生させる音量とイビキとの量的相関は、数次にわたる複数サンプルの観察によって明らかになった。 

 試みに検体Aとしよう。男性40~50代が典型と了解されたい。協力的な検体の場合、演奏開始後間もなく瞼の落下と並行してほぼ無音に近い呼吸音が安定状態に入る。これが準備段階である。曲の流れへの参入が開始されるのだ。なおこの時点で一切の精神活動の停止が生じることに留意したい。純粋聴覚の発動と理解される。やがて検体は曲調の描く軌道への投入に成功し同期を果たす。囁くような愛らしいぷーぷー寝息を立てはじめることがそれを示す。幸福感はこの段階が最も高いと推測される。しかし研究にとってのリスクもまた高いのがこの段階である。往々にして非協力的な奥様が隣席から肘打ちを食らわせるという心ない行為に及ぶことがある。妨げになるので事前の説明が十分になされなければならない。順調な場合、事態は音楽と軌を一にし、いよいよ怒涛のクライマックスにハナを添える轟然たる大イビキにまで出力が上がる。臨界への到達である。上級者になると近代作品に多用されるシンバルや銅鑼とタイミングを合わせる高度な技も見せる。もっともフライングもある。ひとり飛び出し、全休止で一同固唾を呑む瞬間に「んごっ」という事案である。この場合周囲から突き刺さる憎しみの眼差しを非人間的とは責められない。ともあれ、その概ね忠実なシンクロぶりは、音楽を全身で聴取していることを示しているにほかならない。眠っているが聴いているのである。奥様にはこのことを深く理解していただきたいものだ。単純なる睡眠行動とは異なるのである。そのエヴィデンスは、最後の和音の鳴り終わるや否や彼が豁然と目覚める現象で得られる。検体は即座に拍手喝采モードに移り、誰よりも猛然と手を打ち合わせる。かくして彼は、其の夜のコンサートにおいてアンコール曲ただ一曲を覚醒状態で聴取したという事実を糧として、充足感とともに会場を去るのだ。良き眠りこそ心身の滋養である。たとえ奥様に心なしか不機嫌の気味があったとしても。

 ひとのことばかりは言えない。ワタクシにも忘れられない文字通りの寝落ち体験がある。遡ること何十年になるのか、昭和の30年代初頭であったろう。われ小学二年児童でありし頃、当時本邦楽壇における大スター、安川加寿子女史によるピアノリサイタルが秋田県は本荘市にて催されたのである。我が両親の興奮ひとかたならず、本荘市よりやや南寄り沿岸部に住まいする薄給の田舎教師の身ながら、早速にチケットを購入し指折り数えてその日を待った。精進の甲斐あり、天変地異もなく当日となった。さてとばかりにお出かけの準備をする両親を眺めているとわれを手招きする。ははっと伺候すると、お前も行くのだからその泥だらけの顔を洗って来いとの仰せである。兄貴らはニヤニヤしている。どうやら両親め、懐具合と談合の上、三人の息子の内希望者一名のみを連れて行くから有難く思えと長兄次兄には話していたようだ。奴らは有難いとは思わなかったようである。

 末子はあわれである。重要案件は決定の後知らされる。いつものごとくそのオハチは(兄貴らの熱烈な推薦によって)一番下のわれに譲られてきたのだった。兄貴らは鬼の居ぬ間のフリータイムである。奴らの幸運はわれの不運。実に男の兄弟などといいうものは常在戦場の実態があるのだ。そして、この件に限らずだが、いつの間にか「お前だけが連れて行ってもらった。お前ばかりが可愛がられた」という話にすり変わるのである。歴史認識というのはかくのごとく恣意的に変造されるのであるからアテにならないのだということを我が国の人々にはよくよく知ってもらいたいものだ。

 さて、ちょいちょいと顔など洗ったふりをし、一夜の自由を得た兄貴らを一睨みし両親に引っ張られて家を出た八つかそこらのわれである。もとよりピアノリサイタルの何たるかなど知る由もなし、また、親の方でもなんでこのチビが行くことになったのか今ひとつ釈然としないという曖昧模糊とした空気をまといつつ歩み、仁賀保の駅から汽車に乗って本荘に着いた。会場となったのは田舎のこととて大人数の収容は学校の体育館しかない。駅にほど近い県立由利高等学校という女子高である。体育館にパイプ椅子がぎっしりと並んでいる。両親もいくらかは頭を働かしたと見えて早めの到着である。最前列中央部やや左よりに3人並んで席を占めることができた。これは安川女史の演奏中のお手手を有難く拝見しよう、またこのチビすけにも美しき女流ピアニストを間近に拝ませようとの思し召しであったようだ。情操教育だと。まあそれも通じればこその話。子供の方はたいてい知ったこっちゃないです。

 開演の時刻となり満席の会場がしんと静まりかえる中、安川加寿子女史が登場。見たこともないような美々しい衣装である。上品な挙措動作。満堂の男どもはみなランと目を瞠り、御婦人方は羨望の眼差しを注ぐ。だったろうと推測する今のワタクシである。当時の小二児童にそんな事情の分かるはずもない。昼の遊びの疲れで既に眠気が差している。

 演奏は楽聖ベートーヴェンの「ピアノ奏鳴曲作品27の2 月光」で始まった。第一楽章、なんという穏やかな調べ。やわらかに浮かび上がる憧れを潜ませたメロディ。寄せては返すリズムに身体が同期する。人は聴き入りウットリとする。われはコックりとする。たちまち誘われる夢路であった。由利高等学校の体育館に響き渡る一流ピアニストの奏でる美音。演奏はいよいよ佳境にさしかかるのであった。
 悲劇はいつも最大の効果をもって発生する。ああ窓辺に差し込む月の光の美しくも冴えわたる様よ・・・などと聴衆が夢心地となる・・・その時、突然の衝撃音とともに一人の少年が椅子から落下したのである。大いなる音は、はずみで倒れた椅子が床との間に発生させたガッタン音であった。ほぼ昏睡状態までに陥っていたわれは床に伸びた後さいわいにも無傷で目覚めおもむろに椅子を直し、ちゃんとすわって今度は真摯に耳を傾けるべく努力を惜しまなかったのであった。頬に感じる両親の視線が痛かった。しかしながら、実は最も印象的であったのはステージから注がれた安川加寿子先生の慈愛に満ちた眼差しであった。やはり大物は違ったものだ。本当に品のいい人はものごとに動じないのである。

 両親の感じた衝撃や後悔もまた並大抵のものではなかったろうと今は思う。が、二年坊主としてはただただ早く帰って寝たい一心であった。なんしろ晩御飯食べながら眠ってしまい持った味噌汁をばさりとぶちまけるのが日常のわれである。連れて行く方が悪いのだ。

 無駄話も大概にして、音楽で眠るということに戻ります。

 眠りと音楽との関係の深さということについては、「子守唄」なるものが地球上のいかなる民族においても存在することによってもうかがいい知ることができる。その不思議な作用は伴う数々の要因の総合によるものであるとは思うが歌あればこそが当たり前だ。ゆったりとしたリズムに合わせて赤ん坊を揺らす動きは音楽の身体に対する同期作用を利用するものであるし、旋律の動きも調和のとれた安定感を持つものでなければ赤ん坊が困る。12音技法による子守唄では親も子も気が休まらない。意外性や驚き、聴くたびに新発見、といった曲では子守唄になるまい。繰り返しの要素が興味を引きつつ安心をもたらす。音楽的変化は安定した形式やそうした繰り返しの土台の上に乗った河のような時間の流れを感じさせるものでなければならない。身体的には、身体を揺らしたりポンポンと赤ん坊をゆっくりとしたリズムでパッティングすることで音楽との同調を促す。また、肝心なのはそういった行為がなかば無意識になされることだろう。そこに赤ん坊と寝かしつける者との同調がある。親が先に寝入るのはよくあることだ。

 大人であろうと事情はそんなに違いはない。三べん回ってベッドに入るとか枕を叩くとか変わった入眠儀式を持つ人もいるだろうけれど、決まった音楽をかけてそれで安らかに寝入るようにしている人は多いのではないか。音響機器にもスリープ・タイマーがついている。使う曲は人それぞれで、どんなものだろうとそれはお好みだ。要はそれで眠れること、それが身体に反射的に作用すること。音楽で眠れるというシアワセはずいぶん大きなものがある。ストレスとストレスが合体して発達した台風のようになっている日々を暮らす現代人にとってそのシアワセは、日々をなんとか意味あるものに感じてやっていくためにもぜひ確保しておきたい。

 18世紀の昔にもきっとそんなことを考えたのだろう、眠りの音楽を切実に必要とした人がいる。睡眠のための音楽をバッハに発注したことで知られるカイザーリンク伯爵である。当時ドレスデンの宮廷に駐在のロシア大使で、1741年かその翌年、ライプツィヒ滞在時のことだった。自分専用の睡眠導入曲を、お抱えの少年クラヴィア奏者ゴルトベルクに演奏させるために依頼した。バッハの方でもこの伯爵には宮廷作曲家の称号を獲得するにあたっての恩を大いに受けている。ゴルトベルクをバッハの弟子にしたのも伯爵である。伯爵は「わたしの変奏曲」と呼んでこよなく愛好したのだが、いつのまにかこの曲は「ゴルトベルク変奏曲」と呼び習わされるようになった。

 1740年代当時のヨーロッパを考えてみるに、ドレスデン駐在ロシア大使という立場がどれほど過酷なものであったか。現代日本の我々には想像を超えるものがあるだろう。時まさに西ヨーロッパ中央ヨーロッパ、イギリスを巻き込んだオーストリア継承戦争の時代であり、女帝マリア・テレジアvsフリードリヒ大王の宿命の対決、ポーランドもきな臭い、ロシアはロシアでスウェーデンと戦争、フィンランドも占領だ、一方本国では宮廷革命だのの騒ぎ、新大陸だって落ち着かない、地球全土で植民地分捕り競争。そんな時代である。ストレスなしにのんびり駐在なんていうイメージを持ったら大間違い。火薬庫に右手にロウソク左手にマッチ持参で入ってるようなものではなかったか。であるからして、この曲の解説によくある「不眠症に悩むカイザーリンク伯爵が」バッハに書かせた曲、なんていう軽い言葉には相当に違和感を覚えるのである。ただでさえ病弱な伯爵がどれほどのストレスにさらされていたか。閣下と呼ばせてご機嫌になっている日本の大使たちや天皇誕生日の祝賀会に国旗も掲げないで平気でいるような外交もどきとは覚悟が違う。まあしくじったら命がないか投獄ですからね。

 そんな伯爵が「わたしの変奏曲」とこよなく愛した曲、本当のタイトルは随分長い。1742年にクラヴィーア練習曲集第4巻として出版されたときの表紙がこれ。相当に気合いが入っている。引用します。「クラヴィーア練習曲集 二つの手鍵盤を持つチェンバロのためのアリアと種々の変奏より成る。愛好家の心を慰めるため、ポーランド国王およびザクセン選帝侯の宮廷作曲家、楽長にしてライプツィヒの音楽監督たるヨハン・セバスチャン・バッハにより作曲。ニュルンベルクのバルタザール・シュミットにより出版」、これが表紙。読むだけで眠くなる。すでにしてまことに効果的である。

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 眠りのための音楽とあって長いです。たいていの演奏はおよそ1時間前後となる。下手をするとひと眠りして目を覚ましそう。でも、変奏曲という名からする「主題となる旋律の変奏」と思ったらそうではないのですね。バッハはだいたい変奏曲という形式をあまり重んじなかった。オルガンのコラール変奏曲くらいとあと少ししか作っていない。ここでバッハが使ったのはアリアの低音部、バスの進行であった。パッサカリアとかシャコンヌの技法だ。これにより、前後をアリアではさんだ30の変奏は一つ一つが実に新鮮なものとなっている。うっかり寝てられないのである。

 さて、演奏は?となるとグレン・グールドの登場が定番である。この人、2回録音していて2回目は録音スタジオの動画も残っていて面白い。極端に低い椅子、唸り声、蓋を外し独特の調整をしたたヤマハの中古グランドピアノ、等々の光景を目の当たりにすることができる。確かにこの曲の真髄を聴かせる演奏と評されるのを納得させるものがある。

 でも、ワタクシあえて別のを載せてみる。ケンプです。冒頭のアリアの装飾もあれっと思うくらい控えめなまま。でも何べんも聴こうとするなら過集中の気味があるグールドの演奏よりも、どこか滋味のあるケンプのこの演奏がいいのだなあという感じがしてきたのであった。表紙にある「心を慰める」がなによりもこの曲の眼目である。アンナ・マグダレーナが思い出として書いているバッハが夜中に長い時間クラヴィコードで穏やかな曲を奏でそれを聴きながら子供たちがすやすやと眠ったというエピソードがある。バッハこそ音楽で眠るシアワセをよく分かっていたに違いない。それに通じる演奏だと思います。でも長いからね、すこしずつ聴いてもいいと思いますよ。



 ことのついでにもう一つ。これは弦楽三重奏の編曲版。ドミトリー・シトコヴェツキーがグレン・グールドへのオマージュとして編曲したもの。いろいろ聴いてみたけれど、あ、いいなと思ったのがこのアマーティ・ストリング・トリオの演奏だった。これも時間のあるときにどうぞ。







 

なしてだ?(英訳:Why?)

 願わくば所得税の還付をお国からいただきたいものと年金暮らしの分際で確定申告を退職の翌年からe-taxで行っているのです。初回にちょっとばかり戻りがあったので気を良くしたが、それは前年の給与収入が反映されたまでのこと。次の年からは雀の涙、去年にいたっては逆に「おっとあんた納め足りないぜ、不足分をすみやかに払うんだな」となった。コンピュータのくせにご主人様に命令である。ロボット3原則に反する異常事態ではないかと思ったが税務署に行って納付書を賜り謹んで納付申し上げた。

 また取られるんだろか今年はどうしようかと思いつつも、いやいや納税は国民の義務、日本国憲法30条にもあるぞ、いかに零細な納税額とはいえ国境の緊張が日々高まる今日この頃ともなれば我が空軍のスクランブル発進の燃料費数秒分くらいの役には立つであろうと、鋭意e-taxに取り組んだのであった。事前準備等整えサクサクと打ち込んでいよいよ送信の運び。なんと己の事務能力の高さよ、この分では税務署でもやっていけるなと住民基本台帳カードをカードリーダーにセット。順風満帆はそこまでであった。警報とともに「ICカードを認識できませんでした・・・」との宣告が発せられたのである。

 直ちに対処を発令。数次にわたる機器の点検に始まり、攻撃手順の確認及びソフトウエアの再インストールと進むも効果なし。もしやカードリーダーに噂に聞く三年殺しのソニー・タイマーが発動したのでは・・との疑念も兆し戦意に若干の影響を受ける。再度のチェックでSONYブランドは信頼を回復。こうなればカードのICそのものが壊れたのかもしれぬと外部支援を求め、市役所に赴きカードのチェックを市民課窓口にて対応頂いた。電子証明は更新済みであるしカードに異常はなし、ならば何故?前例の有無は?グレムリンの仕業では?あなた誰かに恨まれてないか?と職員ともども話すほどに悩みは深く、一人二人三人四人と、より専門度の高い職員が呼ばれ鳩首協議する事態となった。カウンターは関係者無関係者通行人で団子である。この分では市政を停滞させ議会を巻き込んだ一大案件ともなりかねない勢いであったため、こちらから「あの、まことにありがとうございました、もうけっこうですので、どうも御手間をとらせましてムニャムニャ」と撤退を申し出たのでありました。
 
 以後泥沼と化したe-tax戦線の立て直しが目下の課題の一つとなってはおりますが「現況に変化はございません」です。あー訳がわからん。ということでひとまず棚上げに。そのうちなんとかなるでしょう。でも、「なしてだ?」といいうオハナシでした。

 よし、気分を変えましょう。ナット・キング・コールさんに「Teach Me Tonight」とお願いしてみます。



 歌詞はこうなっております。この歌、シナトラ、サミー・デイヴィスJr、などなど名立たる歌手が歌っていますが、やっぱりナット・キング・コールが抜群。声の気持ちよさ、まとわりつかないすっきりと軽い感じでハッピーな雰囲気が絶妙ではないですか。

   "Teach Me Tonight"

   Did you say, I've got a lot to learn
   Well don't think I'm trying not to learn
   Since this is the perfect spot to learn
   Teach me tonight

      Starting with the ABC of it
      Getting right down to the XYZ of it
      Help me solve the mystery of it
      Teach me tonight

   The sky's a blackboard high above you
   If a shooting star goes by
   I'll use that star to write "I love you"
   A thousand times across the sky

      One thing isn't very clear, my love
      Should the teacher stand so near, my love
      Graduation's almost here, my love
      Teach me tonight

   I'll use that star to write "I love you"
   A thousand times across the sky
   One thing isn't very clear, my love
   Should the teacher stand so near, my love

      Graduation's almost here, my love
      So would you teach me tonight
      I must not fail, my love
      Teach me tonight







 

北の国の音楽を聴く

 あと3つ寝ると立春というのに今日は一日中摂氏零度以下という断固たる真冬日。寒いです。若い頃、とりわけ高校生というバカ真っ盛りの頃は、およそ寒いという語彙は持ち合わせず、吹雪の中をずんずん歩きほっぺたからは湯気を発し鼻からは水を放出して意気軒昂たるものであったのに。残念、とんと寒がりになってしまった。窓を開け放ち厳寒の冷気を堪能しつつ書見をする我が姿に「バカヤロ」と言い放った兄のサゲスミの眼差しも懐かしいが、あの豊富なエネルギー資源を内蔵した我が身も懐かしい。ともあれ、今となっては扉に隙間をすっと開けてはちょいちょいと部屋を出入りするネコさんに「キミ、そこを閉めてはくれまいか」とお願いするナサケナイ身となったのである。

 でも、この時期及びこの状況にあってやや沈みがち低調傾向にある心身にかなった音楽を選ぶとなれば、それはサンバ、カリプソ、ハワイアンとはいかない。心の別世界過ぎる。たしかに今やカーニバルの真っただ中というところもあるがそれは季節がちょっと違う国の話で、私どもの国柄としては豆をまいて良き春を願うたしなみ深き振る舞いが似つかわしいのであろう。したがって、共感と共鳴、魂の慰めと慰藉の糧としての音楽、これが北の国の人たる私どもの求めて止まないものとなる、と独り決めする自由をワタクシは行使する。

 北の民は北に惹かれる。南にも憧れるが北への思いはより深く宿命の色合いを帯びる。と断定したが、しかしながらこれは当然人に拠ること。同じ秋田人とはいえルーツは多様、はるか南の島々から到来したご先祖様を思わせる人もいれば、大陸系も、時に緑の瞳の少女がいたりもするこの秋田である。この世は昔から複雑なのだ。北に惹かれる我が思いはあくまでも個別の事情と弁えながら敢えて言うと御承知願いたい。人は磁石と違って、NがNに向かうこともある。

 大雑把なまとめ方ではあるが、西洋音楽は独・仏・伊辺りの言わばヨーロッパ文化の中核となった地域から、世界共通となり得る構造、技法、手法を広めていった。東西南北の国々、民族の影響の行きつ戻りつを経ながらである。特にロマン派以降近代に至って国民国家の形成と並行して音楽はむしろスタイルの標準化とも言える事態を経験した。音楽史では国民楽派などと呼ばれる、東欧北欧ロシアで顕著だった動きがそれである。これは必ずしも民族性への固着という低次元のものではなく、逆に民族の音楽性を普遍的な音楽語法の中で捉え直し再構築する試みであったとも言えるだろう。それは、民族性の昇華の試みである。それゆえに各国民の「我らの音楽」となり得たのである。「フィンランディア」などはその典型だろう。近代の音楽事情を見ると、国の成り立ちや在り方と音楽とは今の私たちが思っている以上に密着していることが分かる。そんなに気楽な浮草のようなものではないのだ。

 急に引き込み線に入ってマジメになってしまった。遺憾に思うので本線に戻ります。今聴きたい音楽の話であった。北の国の音楽がいいのだ、だって寒いから、である。北も北、北緯57~70度に及ぶ、ドラゴンの頭のような素敵な形をしたスカンディナヴィア半島のたてがみ部分、ノルウェー、王国である。ムンクの国。フィヨルド、オーロラ、サンタクロースとまさに寒い国のイメージ。でも実は海流のおかげで意外に温暖な気候だそうです。あとはよく絶賛される福祉国家、でも高負担。なにしろ人口密度17人だもんね。19歳から44歳までの1年間の徴兵制もあり。これは2015年より女性も対象となった。このあたり、おとぎ話の国ではないことがよく分かる。自主独立、国家防衛がリアルな現実なのだ。あくまでもヴァイキングの国である。

 音楽ではグリーグだけが最も有名なのだがこれはおそらく我が国の音楽教育の長年の「偏り」によるものか。教科書にはペールギュント、ピアノ協奏曲、まずこればっかりである。まるで一人しか作曲家を産み出さなかったみたいに、文化的辺境の地のイメージが残ってしまう。音楽の先生方はもっと注意深くありたいものだ。例えば、そのグリーグが「私にないものを全て持っている」と賞賛して止まなかったヨハン・スヴェンセンがいる。実は2014年1月10日のエントリーでも「音楽の泉 ノルウェー篇」と題して取り上げたことがある。2年経ってまた逢いましたねとなった。弦楽の書法の緻密さが素晴らしい。

 聴けば思うのはこの北方の音楽に流れる情念の深さである。ただ美しいのではない、悲痛なまでのしなやかさだ。それは決して燃え尽きることのない火を見守る、静かだが勁い眼差し、パッションの真髄だ。

 では、まずグリーグのピアノ曲で「ノクターン」op.54 No.4。ピアノはギレリス。



 そしてスヴェンセンの「二つのスウェーデン民謡」op.27、第1番「星月夜の下で」と第2番「古い、征服されない、岩の聳える北方」。










 

ジャズ イギリス シアリング

 イギリス、と申しましてもいささか広うござんすと言われそうだが、まあ目をつぶっていただきましょう。なにしろ相手は連合王国だから攻略は手に余る。この際、諸兄それぞれのイメージで「あ、はいはいイギリスね」と大らかに御納得を願います。

 そのイギリスと音楽との関わりというテーマにうっかり取りかかると、これはこれで壮大なものになるので大変。なにしろことは中世・ルネサンスにおけるイギリス音楽のヨーロッパ大陸への影響ということから始まるのだから。先へ飛んでヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンへの影響なども目を着けると奥深く興味深い事柄だ。近くに来ればホルスト、エルガーなんかは我が国の中学生までメロディを口ずさむ。そのほか御存じビートルズ、ローリングストーンズ、おおクラプトン様もいる。ロングランする「オペラ座の怪人」の音楽を書いたアンドリュー・ロイド・ウエバーはロンドン生まれで男爵。サラ・ブライトマンの旦那さんだ。ほんとうにね、歴史を辿ると今日までヨーロッパどころじゃなく全地球規模で音楽の世界に強い影響力を持ってきたのが分かる。そして今挙げた例だけでも見えてくる一つの特徴。それは「素知らぬ顔して先を行く」だ。もしかするとアメリカ以上に先進的。ところが意外に目立たないという地味好み、これもまた大西洋をはさんで持ち味の違いを出しているあたりが面白いところ。

 ジャズと言えばそれはあなたアメリカのもんでしょう、と言うのはもう通用しない。じわりじわりと成熟した北欧のジャズなど実に魅力的で我が国でも人気が高い。アメリカ方面はどちらかというとヴィジュアル重視で売るからミュージシャンの間では割り切りつつもくすぶる思いがあるそうだ。日本のジャズは?というと、ジャズが流れるとおしゃれなのであるらしく、ラーメン屋居酒屋寿司屋、ちょっとかっこつけるとジャズだらけである。すでにこれは環境音楽。むしろわざわざ構えて聴く人は意外に少ない。ところがファンと言うのは排他的で同好の士としか語りあわないから世の中はジャズファンばかりと思っている。または、逆にオレの高尚な好みを分かる奴はいないのかと独り憤るかのどちらかとなる。だからふと入った店で、らっさーいの怒号やラーメンずるずるの中で崇拝してやまないコルトレーンかなんかが鳴っていると愚民への怒りのあまり胡椒をかけすぎたりするのである。
 かつてのジャズが醸し出してなぜか若者に受けた気むずかしさへの偏愛はこういう一部の絶滅危惧種的正統派愛好者にしぶとく残る。60~70年代、密室で煙草の煙でいぶされながら腕組みしてスピーカーをにらんでいたあの若者たちの生き残りである。歌はビリー・ホリディしか「認めない」とかの断定が得意である。評論家の無慈悲なレビューにやたら詳しく、「ジャズと革命と」がお題目であった世界にいまだにひたっている。パネル持って国会前に集合して日当を稼ぎ年金を補っている無駄に元気な老人団を見にいくとよい。かなりそうしたガラパゴス的生物のサンプルが採集できそうである。振り返れば世界の時代風潮との相互作用の中で一部のジャズもそうした意味づけをされて象徴化してきた。ジャズにとっては成長痛のようなものであったかもしれない。

いやいや団塊の先輩方にはつい冷たい視線を注いでしまう。悪口はやめよう。今日は敬老の日だった。

さて、そこでイギリスのジャズ事情におけるユニークな一面をちょっとだけ取り上げてみる。それは「ABRSM Grade Test(英国王立音楽検定)」のジャズ部門というものである。朝岡さやかさんというピアニストがブログの中で紹介していた。2005~2011年まで自身がロンドンに住んでいる間に体験した検定試験である。

 この試験は、 エリザベス女王を総裁に持つABRSM(Associated Board of the Royal Schools of Music)という、Royal Academy of Music、Royal College of Musicなど、イギリスの主な4つの音楽院が共同で運営している団体が実施するもので、100年以上の歴史を持つ世界最大の音楽検定だという。UK全土はもちろん、世界90ヶ 国以上で、毎年62万人以上が受験しているという。日本でも申し込めるらしい。ちなみヤマハやカワイのグレードテストというのもこれを参考にしたものだという。「音検」というのもあるがそちらはどうなのか不明だ。それにしても女王の名において行われる国家的な規模の音楽検定というのがいかにもイギリスである。そう言えば思いだしたが、イギリスの音楽関係の参考書なんかを読むとさらりと「この内容はグレード○○」なんて書いてあるのだった。BBCのドキュメンタリーでもそんなこと言ってたような。なるほどこれのことだったのだと納得。

 で、そのジャズ部門というのが世界でも稀なものでグレードは5まである。内容はというと、ジャズピアノ試験は、4つのセクションがあると。

1.演奏実技:
「ブルースジャズ」「スタンダードジャズ」「コンテンポラリージャズ」の3つのスタイルからそれぞれ一曲ずつ演奏。課題曲集にある候補の中から自分で選ぶ。演奏は、普通のジャズのセッションの時のように1回目は楽譜通りテーマを演奏。その後、テーマのコード進行に沿って2・3コーラス分即興演奏。そして最後にテーマを少しアレンジして演奏し終了という流れ。
 最後のテーマは楽譜通りに弾くと原点されるという素敵な試験だ。

2. スケール&アルペジョ:
長音階と短音階と半音階に加えてドリアンスケール、ミクソリディアンスケール、リディアンスケール、ペンタトニック、ブルーススケールなどなども。基本的に全調で弾けるように用意しなければいけない。♯やbの多いマニアックな調のブルーススケールも、とあるからけっこうしんどいはず。

3. Quick Study:
初見演奏に当たる部分。初めてその場で渡された楽譜を30秒位で読みその場ですぐ演奏する試験。ジャズ部門の場合は「初見演奏&即興演奏」という感じで、最初の一段は楽譜通りに演奏、2段目からは同じコードに沿って即興演奏が求められる。スタイルは、Blues、Latin Jazz、Swing Jazz、Jazz Rockのどれかがその場で指定される。過去問題集を見ながら練習するしかないという。

4. Aural Test:
口頭形式で、試験官の弾く演奏を聞いて曲のスタイルを答えたり音程を答えたり。ユニークな点は、試験官との「即興連弾セッション試験」があること。試験官とピアノの前に連弾形式で並んで座り、まずは試験官が数小節演奏をスタート、その後試験管がベースのリズムを刻み続ける中、4小節ごとに受験者と試験管が交代交代で右手部分のソロを即興演奏する。当然楽譜はなし。試験官が何調のどんなスタイルの曲を弾き始めるかも分からないため、耳と反射神経が頼りの試験。
 これはキビシイだろうな。

 検定情報は以上であります。これはなかなか厳しくもあり実際的でもありそうだ。朝岡さんが受けたのは最上位のグレード5。試験はイギリス全土で行われるのだが、会場は小学校の教室や公民館の一室で地元密着型なのが気取りが無くていい。朝岡さんの場合は近所の小さな教会だったそうだ。この「構えのなさ」というのは本当に大きな意味があり見習うべき点であると思うのだが。イギリスなんでもありがたがり、とかではなく受け止めてくれるといいけれど。

  かくしてイギリスのジャズへの敬意の表れの一端を見ることができたと思うのだが、それを最高度に体現したのがジョージ・シアリング。アメリカで亡くなったけどイギリス人なのだった。1919年ロンドンの生まれ。先天盲であった。9人きょうだいの末っ子。父親の仕事は石炭の運搬、母親は夜に子供たちの世話が終わった後ホテルの掃除で家計を助ける、そういう家庭である。それでも3歳からピアノを始めたというから両親の大きな愛を感じるではないか。正規の音楽教育は盲学校での4年間のみとバイオグラフィにある。大学への奨学金受給の資格を得たが、それを断って週5ドル(公式HPによる)もらえるパブでのピアノ弾きの道を選ぶことを余儀なくされた(関係ないが、この部分 forced to ~とある。「強制」というより「仕方なく」でしょうな)。その後30年代はall blind band のメンバーであったりして、その間にレナード・フェザーに見出され1947年渡米、その後は御承知の通りで伝説的存在に。2007年6月13日にバッキンガム宮殿でエリザベス女王よりナイトに叙される。このときのインタビューの答えが「なぜ私がこんな栄誉を受けられるのかわからない。ただ自分の好きなことをやってきただけなのに」。その後も演奏活動は続くが、2011年2月14日にニューヨークで心臓病により逝去。91歳であった。
 数多くの曲を作ったが最も有名なのが「Lullaby of Birdland」。ニューヨークのジャズクラブ「バードランド」にちなんで作曲して52年に録音した。大好評ですぐに歌詞をつけて出版もされたという。バードランドはマンハッタン52丁目に50年にオープンした店でビバップの総本山とも言える名所だったが65年に惜しくも閉店。私たち日本人からすれば本場たるアメリカにおけるジャズシーンが必ずしも順風満帆ではなかったことがうかがえる。なお、このバードランドについては、ビル・クロウの「さよならバードランド」(新潮文庫)にエピソード満載で隅から隅まで面白い。

 ようやく辿りついた。では、ジョージ・シアリングで「Lullaby of Birdland」の1989年ニューポートでの演奏を。



 そして、これが1952年のオリジナル。このヴァイブラフォンやギターの入ったクインテットがユニークで絶賛を博した。



 この際ついでだ、もう一丁。1989年ニューポートのメル・トーメも登場するコンサートのフルステージ。御用とお急ぎでない方は是非お付き合いを。メル・トーメの歌が圧巻でござる。シアリングは70歳。